親鸞聖人の肉食妻帯
肉食妻帯(にくじきさいたい)とは、
「肉を食べて結婚生活に入る」
ということです。
僧侶には、肉食妻帯は固く禁じられていたのですが、昔から僧侶のまま肉食妻帯していた人は沢山あります。
その中で、肉食妻帯といえば親鸞聖人、
親鸞聖人といえば肉食妻帯と言われます。
一体なぜでしょうか?
それは、肉食妻帯の理由にあるのです。
親鸞聖人の場合は、肉食妻帯は目的ではなく、手段でした。
その目的がすばらしかったので、肉食妻帯といえば親鸞聖人の代名詞のように言われているのです。
なぜ肉食妻帯されたの?
ではなぜ、親鸞聖人は
「私は今から肉を食べ、結婚生活に入りますよ」
と、公然と言われたのでしょうか。
それは、一般の人は皆、肉食妻帯していますので、もし、肉食妻帯して救われないとすれば、すべての人は、救われないことになります。
肉食妻帯せずしては、どんな人も生きてはいけません。
人間が生きるということは、肉食妻帯しているということです。
肉食(にくじき)
お釈迦様が仏教で肉食を禁じられたのは、元は殺生を禁じられたということです。
生き物を殺してはいけません。
では、生き物を殺さずして生きられる人はいるでしょうか?
道歩いていてどれだけの生き物をふみ殺しているか分かりません。
東南アジアで肉を食べませんと言っている僧侶でも、自覚がないだけで、みんな殺生せざるをえないのではないでしょうか。
虫けらに至るまで生き物ですから、殺そうとすると逃げようとします。
のみを殺しても、みんな殺生です。
すべての人が、殺生せずしては生きられない、深い業を持っているのです。
親鸞聖人は、
「すべての人が救われるのが、本当の仏教だ」
肉食という、衝撃的な言動で伝えられたのです。
妻帯
「妻帯」にしましても、世間では、体でさえやらなければいいだろうという考え方が常識です。
ところが仏教では、私たちの行いを心と口と体の三方面から見られます。
これを三業(さんごう)といいます。
「業」とは行為、行いということです。
私たちは毎日心と口と体で色々のことをやっています。
体で何かすることを「身業(しんごう)」といいます。
口が何かしゃべるのを「口業(くごう)」といいます。
心で思うのは、「意業(いごう)」といいます。
これを「身口意(しんくい)の三業(さんごう)」といいます。
人は分からなくても、私たちは、この三つで色々の行いやっています。
一番悪いのは?
この中でも、一番恐ろしい悪い行いは、心です。
口で言うことも、体ですることも、すべて心の命令だからです。
ですから口が悪い行いやったり、体が悪い行いする責任は、心にあるのです。
ですが、法律や倫理道徳では、心まで見えませんので、体でやったこと、口で言ったことで罪かどうか判定しています。
しかし、もとは心なので、仏教では、心を一番重く見られます。
異性のことを思うのは、口、体より心の方が重いのです。
肉食妻帯の目的は?
そういうことからすると、妻帯しない人が、この地球上にいるでしょうか。
水の中で生まれた魚が水から離れて生きていけないように、色と欲から生まれた私たちは、色と欲から離れられないのです。
親鸞聖人は、戒律を破れば非難攻撃が起きることくらい分かっておられたのですが、実際、世間中から非難攻撃が巻き起こりました。
そんな中、
「私はどんな事を言われてもいい、すべての人が救われるのが真実の仏教だ」
と、肉食妻帯せずしては生きられない、すべての人を救うのが本当の仏教だと煩悩あるがままの救いを明らかにされるために肉食妻帯をされたのです。
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