親鸞聖人、弁円(明法房)を救う
親鸞聖人が40歳頃から茨城県の稲田を中心に本当の生きる意味を伝えておられました。
ところがやがて親鸞聖人の命をつけねらう弁円という有力な山伏が現れ、ある日、剣をかざして殺しに来たのです。
一体どんなことがあったのでしょうか?
目次 contents
弁円とは?
弁円とは、播磨公弁円(はりまのきみべんねん)といい、修験道を率いて関東一円に勢力を誇っていた山伏です。
山伏といっても、単なるチンピラではありません。
『法泉寺縁起』によれば、平清盛の孫でしたが、6歳のときに平家は滅びてしまいます。
長い間放浪した後に、18歳のとき京都で山伏になりました。
やがて頭角を現し、修験道の一派を代表して、播磨公弁円の名前は全国的に知れ渡ります。
そして茨城県は常陸の城主、佐竹秀義に招かれたのです。当時、仏教といえば、祈祷をして病気を治したり、現世利益を得るためのものと思われており、佐竹秀義も、名高い山伏の祈祷の力で領内の治安を保とうと考えたのです。
弁円は、やがて寺領500石、末寺35、門弟100人以上となり、関東全体の関八州の山伏の総司となり、人々の尊敬を集める、その道では関東で一番の実力者でした。
そこへ、40歳を過ぎられた親鸞聖人がやってこられ、稲田を中心に布教を始められると、だんだんと風向きが変わってきました。
親鸞聖人の暗殺を計画
親鸞聖人が、仏教は、祈祷でもなければ呪いでもなく、因果の道理に立脚して本当の生きる意味を教えられたものだと明らかにし始められたので、弁円に祈祷をしてもらいたい人が次第に減ってきたのです。
2年3年と経つうちに、弁円の信者も減り、弟子も減ってきました。
腹を立てた弁円は、加持祈祷によって、親鸞聖人を呪い殺そうとします。
板敷山に護摩壇を築いて三日三晩、祈祷を行いました。
ところが親鸞聖人は死にもしなければ、病気にさえなりません。
ますます元気に仏教を説かれています。
そこで、親鸞聖人が通られる板敷山に待ち伏せして、暗殺することにしました。
弓や刀で武装した弟子達を従えて、板敷山に潜みます。
誰も見ていない山道で、人知れず亡き者にしてしまおうという計画です。
ところが、何回待ち伏せてもすれ違ってしまい、暗殺することができません。
その間にも、信者は減り、弟子も弁円のもとを去って行きます。
いよいよ頭に来た弁円は、
「親鸞憎い。おれの弟子も、信者もみんなあいつがとっていったんだ」
と弟子が止めるのも聞かずに白昼堂々自ら親鸞聖人の稲田の草庵に乗り込んで、確実に息の根を止めることにしました。
剣をかざして親鸞聖人を殺しに行く
稲田の草庵に着いた弁円は、門を蹴破って中に入ると、
「出てこい、親鸞。貴様肉食妻帯の破戒坊主。
この播磨公弁円が仏様に代わって成敗してくれる」
普通は、自分の家に乱暴者が押し入ってきたら、退避するはずです。
ところが親鸞聖人は、数珠一連持たれて、弁円の前に出てこられました。
「よく来られた弁円殿」
と笑顔で迎えられます。
「お前が親鸞か。仏教を破壊する悪魔の坊主、この弁円がみ仏に代わって成敗してくれる」
と親鸞聖人に斬りかかろうとした瞬間、その尊容にふれ、殺意がたちまち失せてしまいます。
そして冷静になった弁円は、自分のやろうとしていることを振り返ると
「しまったー。おれは間違っていたー」
と深く後悔して、その場に崩れ落ちます。
「親鸞殿、申し訳ござらん。
この弁円、稲田の繁栄をねたみ、自分の衰退を人のせいにして、お命を狙っておりました。
この愚か者、不覚であったー。どうかお許しくだされー」
今殺しに来ておいて、「許してくれ」とは世の中通りません。
現代なら警察に通報されて現行犯で逮捕されます。
親鸞聖人は一体どうされたのでしょうか?
親鸞聖人は許された?
ところが親鸞聖人は、その時、
「いやいや弁円殿、許すも何も、あなたは私よりずっと正直なお方だ」
と答えておられます。
これには弁円も驚きます。
今、殺そうとしていたのにほめてもらえるというのは、意味が分かりません。
皮肉だろうかと思います。
ところが親鸞聖人は、皮肉でも何でもありません。
「弁円殿、あなたは心の思っている通り、体で実行されただけ。
心に思っている通りのことを口に出されただけ。
あなたは正直な方だ」
と本気で言われているのです。
それは親鸞聖人が常に阿弥陀如来の光明に照らされて、自分の心を見つめておられたからです。
「この親鸞にも、あいつが憎い、殺してやりたいという心がある。
ところが実行しないのは、そんなことをすると悪い評判が立ってしまうからだ。
悪口を言われて、このあたりにもいられなくなる。
それを恐れて、名誉欲でやらないだけなのだ。
憎い殺したいという憎しみの心を、名誉欲のために隠している親鸞は偽善者だ。
私のほうがよっぽど悪人だ。
善人が悪人を許すとか許さないとか言うのは分かりますが、偽善者の私が、正直なあなたを裁くことはできませぬ」
それを聞いた弁円は、親鸞聖人の言葉に、深い教えと信徳を感じます。
「親鸞殿、こんな弁円でも、救われる道はあるでしょうか」
この弁円の質問も虫のいい話です。
仏教では、在家の人でも殺生をしてはいけないと教えられているのに、人を殺そうとした者が救われるのでしょうか?
人殺しは救われる?
ところが親鸞聖人はこう答えられます。
「弁円殿、あなたは正直な方なのだ。
この親鸞はそんなに正直になれない嘘つきの偽善者だ。
ところが阿弥陀如の救いは、煩悩の燃え盛る、罪悪の甚だ深い者が対象とおっしゃる。
こんな嘘つきの親鸞でさえ阿弥陀仏は助けてくだされたのだから、あなたのような正直な方は尚更助けてくだされる。早く真実の仏教、阿弥陀如来の本願を聞いてくだされ」
これは阿弥陀如来の本願は、悪人正機ということです。
悪人正機とは、悪人こそ救われるということですが、阿弥陀仏の言われる悪人は、心の悪人です。
欲や怒りや愚痴の心で、悪しか思わないすべての人を悪人といわれています。
ですから、悪人正機とは、すべての人が救われるということです。
それを聞いた弁円は
「何、私のような者でも救われるのが阿弥陀如来の本願?
どうか私もお弟子の末席なりとも加えてくださらんか」
常識的に考えると、今殺しに来た乱暴者は、危険ですからお弟子にするはずがありません。
親鸞聖人は、何と言われたでしょうか?
殺しに来た人は弟子にしてもらえる?
弁円の弟子にしてもらえないでしょうかというお尋ねに対して、親鸞聖人は、こう言われています。
「いやいや弁円殿、この親鸞には一人の弟子もありませぬ。
もし親鸞の力で仏教を聞き始め、続けて聞き求め、本当の幸せに救われたのならば、親鸞の弟子ともいえましょう。
しかし、その人が仏教を聞き始めたのも、続けて聞いて、救われたのも、まったく阿弥陀仏のお力なのだ。
共に阿弥陀如来の本願を聞信する私たちは、「御同行・御同朋」、喜ばしき友であり、兄弟なのだ。
弁円殿も、早くお聞き下され」
親鸞聖人は、殺しにきた人を弟子に加えるどころか、友達であり、兄弟だと言われたのです。
そんな弟子一人も持たずと言われた親鸞聖人の教えを受けるようになりました。このとき、親鸞聖人49歳、弁円42歳だったといわれます。
やがて、弁円は阿弥陀如来の本願に救われ、明法房(みょうほうぼう)と生まれ変わったのです。
変わり果てた心
明法房が阿弥陀如来に変わらない幸せにして頂いてから、親鸞聖人のお供をして板敷山を歩いていたことがありました。
親鸞聖人がふと振り返ると、弁円がいなくなっています。
「一体どこへ行ってしまったのか」と元来た道を戻ってみられると、道端にうずくまって泣いていました。
「どうした?お腹でも痛いのか?」
と優しく声をかけると、
「いえいえ、実は私はここで、親鸞様のお命をねらっておりました。
刀を持ち、弓に矢をつがえ、待ち伏せていたのです。そんな私が、何の間違いでか、聖人さまのお導きによって、阿弥陀如来の本願に救われて、無上の幸せ者にして頂いたとは何という不思議でありましょう」
自分の過去の姿を思い出して万感交々至り、落涙千行して涙の中から詠んだのがこの歌です。
山も山 道も昔に変わらねど 変わり果てたる 我が心かな
「山」というのは、親鸞聖人を殺そうとして待ち伏せしていた板敷山です。
板敷山も、そのつづら折りの道も阿弥陀仏に救われる前と、少しも変わりません。
しかし、阿弥陀仏に救われた今は心がまるきり変わってしまった。
あの頃は、親鸞聖人をこの世で最も憎い奴と思っていたのに、今は、この世で最も尊敬する方になってしまった。
心が変わり果ててしまった。
このように、阿弥陀仏の救いは、自分で分かるのでしょうか?というようなものではありません。
阿弥陀仏に救われると同時に、私たちの苦しみの人生は、幸せな人生にガラリと変わります。
弁円の涙は、救われようのない極悪人を、この上ない幸せ者に救って頂いた、懺悔と歓喜の嬉し涙だったのです。
他に、こうも歌われています。
「弁円が明法房になりにけり 変われば変わるものにこそあれ」
もともとは、
「三味線の皮をネズミが噛むそうな 変われば変わるものにこそあれ」
という歌があります。
三味線の皮は、猫の皮でできています。
猫のときは、ネズミが噛まれていたのですが、三味線になると、ネズミに噛まれるようになります。
それほど、弁円と明法房はガラリと変わったということです。
こうして、明法房は関東の二十四輩と言われる、親鸞聖人のすぐれたお弟子となったのでした。
では、どうすれば、親鸞聖人や弁円と同じように、阿弥陀如来の絶対の救いにあえるのか、ということについては以下のメール講座にまとめておきましたので、今すぐご覧ください。
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