平生業成

「平生業成(へいぜいごうじょう)」とは?

あなたは、平生業成という言葉をご存じでしょうか?

これは、親鸞聖人の教えを漢字四字で表された、浄土真宗の一枚看板なのです。

よくバスガイドさんなんかが
「今日はみなさんの平生業成がよかったからお天気に恵まれましたね」
などと、「平生の行い」のように使っているのは、間違いです。

「平生業成」こそ、親鸞聖人の教えの特色であり、すべてであり、命なのです。

では、平生業成とは、どんな意味なのでしょうか。

「平生(へいぜい)」とは?

まず、「平生」とは、死んだ後ではない。
生きている時」ということです。

生きている時」と聞くと、あと50年も60年もあるように思いますが、そうとは限りません。
毎日沢山の人が、交通事故で亡くなっています。
若い人でも死ぬのです。

アメリカでベストセラーのエッセイ『ザ・イヤー オブ マジカルシンキング』にはこう書かれています。

人生は、あまりに早く変わってしまう。
人生は、一瞬のうちに変化してしまう。
夕食の席についた時、人生は終わってしまう。

一体どんなことがあったのかというと、作者のジョアン・ディディオンは、2003年12月30日、年末のできごとをこう記しています。

──ちょうどジョアンと彼女の夫が夕食の席についた時……
突然、重度の心臓麻痺が……
ジョアンの夫を死に至らしめた──
それは、普段と全く変わらない、
いつも通りの一日の終わりのことでした。
スコッチをちびちびやりながら、
彼女と話をしていたジョアンの夫は、
突然、左手を挙げたまま、ガクッと動かなくなった。
ジョアンは何かの冗談だと思って、
「あなた、やめてよ」
と言った。
しかし、もう二度と彼には届かない。永遠の別れになってしまう。

この世は皆、しばらくの縁と言われます。
しばらくの間、友人であり、恋人であり、先輩であり、後輩であり、夫婦であり、家族なのです。

そうと知れば、一瞬一瞬を大切にせずにおれなくなります。

お互い、とりかえしのつかない今を過ごしているのです。
二度と会えないかも知れません。

いつ死ぬかわからない私たちにとって、
「平生」は、今しかないのです。
「また今度」でもなければ、
「またいつか」でもありません。
「今が勝負ですよ」
ということです。

「業(ごう)」とは?

」とは、事業の業の字を書いて、「ごう」と読みます。
人生の大事業のことです。

人生の大事業とは、これ一つ果たしたなら、いつ死んでも悔いなし、といえるような、人生究極の目的のことです。

だから、とりあえず今はこれを目指すというような、目先の小目標ではありません。

受験生が勉強するのは、とりあえず今は、入試の合格を目指すから。
大学に合格をしたら、とりあえず今は、スポーツをやる。
カラオケに行く。
旅行に行く。
デートに行く。
宿題をやりとげる。
資格試験の合格を目指す。
就職内定をとる。
結婚を目指す。
そして子供を育てる。
……
こんなふうに私たちの人生はとりあえず今はこれを目指すという目先の小目標が次から次へとやってきて、 本当の人生の目的とは何か、知る心を見失ってしまうのです。

親鸞聖人が、人生の大事業といわれているのは、目先の小目標のことではなく、人生究極のゴールのことです。

「成(じょう)」とは?

」とは、完成する、達成するということです。

だから、人生には、とりあえずこれを目指すという目先の小目標ではなく、これ一つ果たさねばならないという、大事な目的がある。

それは、現在、完成できる。
だから完成しなさいよ!

ということです

だから、その目的果たすまで絶対あきらめてはいけない!
自殺してはいけない!
どんなに苦しいことがあっても、この人生の大事業を完成するまで生き抜きなさいよ。
ということです。

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